2017年6月22日木曜日

11.人見知り

≪1989年3月≫

 耕平(1歳3か月)はあまり人見知りをしません。
 誰にでも愛想がよいのです。
 病院の待合室などで、気がつくと隣の人に「ワーワー」と話しかけていたりします。
 何気なく耕平の方を見たら、あまり耕平が笑うので、しかたなくずっとあやし続けてくれたおじいさんもいました。スーパーのレジのおばさんともすっかり仲良しです。

 正月に風邪で大熱を出して以来1カ月ほど微熱が続いたので、小児科のお医者さんに診てもらっているのですが、そこでも先生に身振り手振りで話しかけたり、看護婦さんにニコニコして手を振ったりしています。その様子を見ていた先生は、お母さん「この元気なら心配することないですよ」と薬もくれません。
 近くに小さい子どもがいようものなら、もう喜んで「ワーワー」と大声を上げながら近寄り、気安く顔をなでたり服を引っ張ったりして親愛の情を示します。

 姉のかおる(もうすぐ4歳)の同じ年頃は対照的でした。我が家から徒歩15分のところに住んでいる野方のおじいちゃんおばあちゃん(私の両親)には1週間に一度は遊びに行っていたので大丈夫だったのですが、1年に数回しか会わない祖師谷のおじいちゃんおばあちゃん(夫の両親)二は抱かれるのもいやがるぐらいでした。公園に行ってもいつも一緒に遊んでいる子どもは大丈夫ですが、見慣れぬ子がやってくるとしり込みするというふうでした。

 「同じきょうだいなのに、どうしてこんなに違うのか」なんて言葉をよく聞きますが、よく考えてみれば、親だけのところに倦まれてきた子と、上にきょうだいがいるところに生まれてきた子とでは、もう明らかにその社会環境は違います。いつも自分以外の子供がおり所で育っていく子は、子どもへの警戒心は少ないはずです。特にあおるは耕平になかなか親切でしたから、なおさらでしょう。
 耕平が生まれた頃、私たち一家は、私の実家に同居していたので、耕平の周りにはいつもおじいちゃんおばあちゃんがいました。また、歩いて12、3分のところに住んでいる私の弟一家ももよくやってきていて、従兄の龍太くん、周人くんとも顔なじみでもありました。

 その後しばらくして、夫の両親の家に近い世田谷に引っ越し、今度は祖師谷のおじいちゃんおばあちゃんのそして、夫の妹夫婦一家としょっちゅう顔を合わせるようになりました。従姉たちは二人とも10歳ほど年が上で下から、よく遊んでもらいました。
 生まれてからこのかた、耕平はいつも複数の人間がいる中で、複数の人間に世話をしてもらって育ってきたのです。

 それにくらべると、核家族で、私と二人きりの生活が多かったかおるの場合は、他人に対する免疫がなかったということでしょうか。
 かおるが人見知りをしたからといって、耕平に対して新たな対策をしたわけではありません。
 むしろ、かおるには人に慣れさせようと毎日のように連れて行った公園も、耕平の場合は忙しさにとりまぎれてあまり連れて行ってはいません。
 複数の人間の中で、その世話を受けて育つ。育つ環境のちがいで、子どもの性格・行動のしかたがこんなにも違ってくるのかと、あらためて驚かされています。どんな環境を子どもに与えてやれるか、そこに親の責任を感じます。


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 人見知りは生後4か月ぐらいから始まります。
 人見知りをするというのは、それだけ脳の働きが成長したという証拠です。
 家族のようにいつも自分の近くにいて世話をしてくれる人(=安全なもの)と、見知らぬ者(=危険かもしれないもの)との区別ができるようになるからです。
 ですから、決して困ることではなく、成長したと喜ぶべきことなのです。

 他人にいきなり抱かれて赤ちゃんが泣くのは、「いつもの人じゃない!心配だ!」と言っているのです。言葉を話せない段階の赤ちゃんのコミュニケーション手段は「笑う=快・安心」と「泣く=不快・不安」しかないのです。
 その不安を取り除かれれば、赤ちゃんは泣かなくなります。

 しばらく一緒に遊んだり、おいしいものを食べさせたり、「いないないばあ」など赤ちゃんが興味をいだくこと(例えば)をしてやったり、といったようなことがうちの子には効果がありました。
 この人は自分に「快」を与えてくれる人(→安心)、というイメージを作ってやるということだと思います。



 
 

 
 

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