2017年1月19日木曜日

5. 1歳児の観察力と環境設計能力

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 今回の話は、いずれも娘が1才8~9ヵ月のころのできごとです。
 子どもの行動を見ていて、人間の観察力というのは、かなり早い時期から育つ、そして観察したことから、自分で環境設計をすることも結構早くからやるのだなと感じた出来事でした。
 1才児ですから、やっていることはそうたいしたことではありません。見過ごしてしまいそうなことです。でも、ただ単純に反応するだけの行動から、明らかに、周囲の人や物を観察し、自分の次の行動を考えたり、その行動にふさわしい環境づくりをするようになってきたということがわかります。特に教えたことではないので、人間の脳の学習力が生み出した行動だと感じました。


≪1986年12月~1987年1月≫

■おばあちゃんが眠くなった時

 ある日のこと、かおるはおばあちゃん(私の母)の膝の上に乗ってお菓子を食べていました。
 テレビを見ていたおばあちゃんが、やがて居眠りを始めました。
 それに気づいたかおるが私に聞きます。
 「オバアチャン ネムイノ?」
 「そうみたいね」

すると彼女は、おばあちゃんの膝からおりて、隣りの部屋に行き、おいてあったダンボールの大箱で作った自動車をのぞきこみ、入れてあった人形をとり出しました。遊ぶのかと思って見ていると、少し抱いてからそれをおじいちゃんに渡し、ダンボールを部屋の端に寄せたのです。それから私のところへやってきて「フトン」といったのです。おばあちゃんのためにふとんを敷いてくれと言ったのです。

眠そうなおばあちゃんを見て、とっさに隣りの部屋(いつもおばあちゃんの寝る部屋です)にふとんを敷く行動イメージ(全体像)が浮び、ふとんを敷くために確保するスペースを測定し、そしてダンボールの大箱をかたづけるという行動が生まれたわけです。人形を抱いたのは、かたづけてしまわなければならないという、名残り惜しさのためだったのかもしれません。

 おじいちゃんが居眠りをしたときには、おばあちゃんのときと同様の行動をとった後、おじいちゃんのところにやってきて、「オジイチャン ネンネシテ」と、敷かれたふとんのところまでおじいちゃんを連れていき、横になったおじいちゃんのそばにすわり、「ネンネーネンネー」とおじいちゃんの身体をさするところまでやっていました。行動の一まとまりも、思った以上に大きいものでした。

 

■まず、お菓子を移動させました

 こたつの前におかれた自分の椅子に坐ってお菓子を食べていたかおる。急にお菓子の入れものを私の前に移動させました。「おかあさんにくれるの?」と聞きましたが、返事をする間もなく椅子をおりて私の膝の上にのってきました。そして再びお菓子の入れものをかかえこんで食べはじめたのです。
 自分だけ移動し、私に「お菓子をとって」とはせず、お菓子を先に移動させたということは、私の膝の上でお菓子を食べるために必要な行動についての、明確な全体像があったということではないでしょうか。
 


■鉛筆削りのとき
 おじいちゃんと一緒にお絵かきをしようとしたときのことです。使いたい色鉛筆の芯が折れていました。
 「オジイチャン エンピヨ(エンピツのこと)ケズッテ」と頼みます。
 続いておばあちゃんに「ウシサン チョーダイ」と、いつもおばあちゃんが使っている牛の形の鉛筆削りを持ってくるよう依頼、自分は削りかすを捨てるためのゴミ箱を運んできておじいちゃんのすぐ隣りにおきました。
 芯が折れたときはどうするか、そしてそのためには誰に何を頼むか、どんな場を設定することが必要か、というイメージを描いたということです。
 

■「タータ ミズ ノンデ」

 風邪をひいていた夫が、かなりひどい咳をしました。
 「タータ(オトウサンのこと)、ダイジョーブ? オクスリ ノンデ」とかおる。
 夫が風邪薬を口に含みますと、こんどは、
 「ミズ ノンデヨ」
 飲まないでいると「ミズ ノンデョッ!」とだんだん強い調子になります。夫は台所に水を飲みに行きます。かおるはついていって水を飲んだことを確認し満足の表情。そして次に、
 「タータ ネンネシテネ」

 薬は水で飲む、飲んだあとは布団に入って寝る、というのが彼女の風邪をひいたときの行動のイメージのようです。水を飲まないうち、布団で寝ないうちは、「これで、よし」とはならないのです。自分の持っている行動の全体像が満たされないと、子どもでも行動が完成していないと思うのでしょう。  いや、むしろ子どもだから、大人より厳密なのかも知れません。



4. 場のちがい、場の雰囲気をよむ


198612月》



かおる1歳8カ月、食事をするときの態度が、自分の家にいるときと、おじいちゃんの家にいるときで非常に違うようになってきました。

 自分の家では、近頃はこたつの前におかれた自分の椅子にすわってスプーンとフォークで食べるという形が定着してきています。途中で歩きまわったり遊んだり、かたづけてない机の上に上ってしまったりということはなくなったのです。
 ところが、おじいちゃんの家に行くと、タタミ、コタツ、幼児用の椅子という条件は同じであるのに実に奔放になってしまうのです。これは、自分のいる場がどんな場であるか、その違いを読みとることができるようになってきたためではないかと思っています。

おじいちゃんの家には自分の家にはないおもちゃがあること、おじいちゃんはかおるがやりたがることは何でもやらせてくれること、おかあさんもおじいちゃんがいいと言ったことには反対しないといったようなことがわかってきたのです。

この場では誰がどんな役割をしているかということも読みとるようになりました。
 おかわりをするときや、食べ終って片づけるときは、おばあちゃんが主役だと読んでいます。
 「ゴツチャン(ごちそうさま)」とお茶わんを渡すのはおばあちゃんで、私やおじいちゃんが受けとろうとしても、渡そうとしないのです。

場を構成する人間の役割だけでなくその人間の能力もかなり見きわめています。
 遊びの相手になってもらうときなど、どの遊びをするかで呼びに行く相手がちがうのです。
 おじいちゃんがあぶなっかしい手つきでお手玉をやってやろうとしても、かおるはそれを見捨てておばあちゃんを呼びに行ってしまうのです。

また、このごろはその場の雰囲気を読むという能力もついてきました。
 私が夫に何か文句を言っていると、意味のわからないようなことでも、その言葉の調子で誰が誰にして怒っているかがわかるのです。そして言います。
 「タータ(オトウサン)、ダメヨッ!」 
 テレビドラマの中でも言い争っている場面には特に敏感で、「オジチャン オコッテルヨ」と深刻な顔をします。

かおるが何かこばしたりしたとき、「こぼしちゃったのね」という同じ言葉でも、私の口調のちがいで、かおるのきげんは悪くなったり良くなったりします。
 場のちがい、場の雰囲気を子供はこんなに小さい頃から読みとっているのかと思うと恐しいほどです。
 特に子供の前で争い、それもの親しいもの同士の争いほど、子供の精神を傷つけるということを感じています。


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 私は、娘のかおるが生まれてから、3歳3カ月で保育園に預けるまで仕事を休みました。始めに住んでいた中野区では保育園の空きがなかったからで、やむをえずという結果ですが、約3年間を家事と育児に専念しました。しかし、この3年間ほど、人間が「育つ」ということ、「学習する」ということについて考えさせられたことはありませんでした。

子どもは毎日毎日成長していきます。0才~3才という時期、昨日できなかったことが、今日できるようになった、ということもしばしばありました。良いことも悪いこともどんどん学習していきます。私の怒ったときとそっくりの口調でかおるが怒っているのを聞いたときは、反省しながらも、まさに子どもは「育つ存在」「学習する存在」であると感心してしまいました。

2歳ほどになるとだいぶ話せるようになり、子どもの頭の働きが少しはわかるようになりました。おなかをかかえて笑ってしまうことや、なるほどと感心してしまうこともありました。
 
 子どもは私の予想よりはるかに早く、それもかなり総合的に育っていきました。
 さまざまな行動について、それはいったいどういうことなのか、どうしてそういう行動をしたのか、どうしてそういう行動ができるようになったのかを観察しては考える。
 この先どう対応してやればよいか、何を経験させてやればよいか。何をどう手伝ってやったらよいのか、あるいは手伝わない方がよいのか、試行錯誤の毎日。親になるための練習期間でもありました。
 
 


2017年1月17日火曜日

3. 卒業!「朝の泣き別れ」

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 1988年5月に世田谷に引っ越し、申請していた保育園への入園が認められました。
 働く親にとって、子どもを一日預かってくれる保育園は本当にありがたい存在です。
 しかし、子どもにとってはどうなのか?
 生まれてからずっと、大半の時間を母親である私との2人の生活を送ってきたかおる。
 3歳を過ぎてからの中途入園は、かおるにとって思いもしなかった生活の変化です。
 この変化にかおるはうまく対応できるだろうか。
 次の文章は、私が娘を保育園に預け始めてから7ヵ月ほどたった頃に、入園後の娘の変化について書いたものです。


《1989年2月》

 

★泣き別れの日々


 かおるは昨年の7月から祖師谷保育園に通い始めました。(3歳2ヵ月)
 社会運動家として有名な賀川豊彦が創立した伝統ある保育園で、現在の園長さんは敷地内の教会の牧師さん。
 最初の1か月は、かおるには苦痛であったようです。昼寝のタイミングが合わず、皆が寝静まってしまったところで、一人起きているのが何よりつらかったそうです。始めは歌を歌っていたようですが、他の子が起きてしまうからと、止められてしまったといいます。
 「どうして保育園に行かなくちゃいけないの~」
 泣き出さんばかりのかおるを自転車に乗せて、「今にきっと楽しくなるよ」「保育園に行ってよかったって思うようになるからね」と言い聞かせながら保育園に送り届け、保母さんに抱えられて泣きわめくかおるを振り切るようにして帰る日が続きました。


★2週間の夏休み


 8月に入って2週間の夏休みを取りました。保母さんたちが交代で休みを取るので、できることなら休んでほしいと園から言われている期間。「休ませると後が大変でね」と他のお母さん方は言います。しかし、かおるには少し気分転換が必要ではないかと、仕事を調整して休ませることにしました。
 そして休み明け。どうなるかと思っていましたが、かおるは全く泣かなくなっていました。保母さんも私も拍子抜けという感じでした。休み中、私が仕事(小さな映画制作会社をやっていた夫の手伝いで、シナリオ書きなどをしていました)や耕平(7ヵ月)の世話で十分遊んでやれなかったので、かおるは、バラエティに富んだ、そして1日フルに遊べる保育園の楽しさに気づいたのではないでしょうか。
 昼寝のリズムがだんだん合ってきたのも良かったのかもしれません。


★そしてその後・・・


 9月になると、迎えに行ってもすぐ飛んで来なくなりました。「もう少し遊んでいってもいい?」
 10月、「もう少し遅くお迎えに来てもいいよ。」
 11月のある日、迎えに行くと、仲良しのリサちゃんとランドセルを背負っていったり来たりしているところでした。。そして不服そうな声で言いました。
 「もう少し遅くきてくれればいいのに。今学校ごっこやっていたのよ!」「・・・・・」

 そしてそれからさらに3か月が過ぎた今のかおる。
 「今日はタテワリなんだよ。お買いものごっこやるんだって」などと、毎日何をやるか楽しみにして保育園に行っています。
 「タテワリ」というのは、年齢の異なる子どもたちをまぜてクラスを作り活動する縦割り活動のことで、かおるの通う祖師谷保育園は、自主的な行動力と他を助ける心を育てるという方針から縦割り活動が多いのです。劇遊びや楽器遊び、すもう大会やかるた大会をやったり、散歩にも行きます。年長の子が運転手や車掌役をつとめる“乳母車バス”に、小さい子が切符を買ってお客さんになる乗り物ごっこもなかなか楽しいようです。
 そうして遊ぶので、年長組の子も年少組の子もお互いに顔や名前を知っており、かおるも帰り際に年長さんから「かおるちゃんバイバイ」などと声をかけられうれしそうです。

 また園には、スカート、カバン類、風呂敷、エプロン、組み立てブロックなど、種類ごとに分類されて入った引き出しがあって、おやつの後の時間、子どもたちはそこから思い思いのものを取り出して遊びます。迎えに行くといつも、風呂敷をなびかせたアンパンマンやら仮面ライダー、何人もの白雪姫たちが部屋の中を右往左往しています。かおるもよく長いスカートを引きずって歩いています。

 そう、かおるはもう完全に、朝の泣き別れは卒業したのです。


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 朝の泣き別れ、通い初めにはどの子にも多かれ少なくともあると言う。長時間泣いている子、すぐ泣きやんでしまう子、泣き別れが長く続く子、すぐ泣かなくなってしまう子などさまざまだそうだ。これは、子どもの年齢や家庭での生活の仕方などいろいろなことが関係しているようです。
 子どもの泣き別れは、安全なところから離されたということからおこる防衛本能だと考えられています。保育園では朝の儀式と呼んでいました。あって当たり前のことで、むしろ泣かない子の方が心配だそうです。泣いているのは「お母さん好きだよ~、おうちの方がいいよ~」と言われているのだと考えればよいというのが、主任保母さんの言。
 ん? じゃあ、泣かなくなったということは・・・・・

 今から20年数年前当時、保育園に子どもを預けるということを、親の義務を怠っていると批判する人々が少なくありませんでした。(今でもいるかもしれない) しかし、家にいたのでは、これだけ多様な行動プログラムや。異年齢(0~6才)の友達、障がいのある子(園には常時何人かいました)、保育士さんや給食のおばさんたちといったいろいろな人間のいる社会生活を経験させてやることはできません。
 かおるは保育園生活で、適度に親離れをし、生活習慣においても、友達づきあいにも急速な成長を見せました。そして何より、そこでの生活を楽しんでいました。これはもう何をか言わんやです。