2016年9月27日火曜日

2. ピーマン大作戦

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 何でも食べられることが、健康の第一条件。何ができなくても、食べものの好き嫌いのない子に育てよう、と考えていました。夫も同じ考え。夫も私も好き嫌いは無く、残さず食べるというのがモットーです。苦手のものは、大人になってもなかなか食べられず苦労するもので、私の母はシイタケと牡蠣が嫌いだったし、弟も牡蠣が嫌いでなかなか食べられませんでした。姉は未だに肉が嫌いでほとんど食べません。
好き、きらいができるのは、脳の中の扁桃体の働きによるものです。人類の脳には、本能的に生きていた時代の原始的な脳の部分「古い脳」と、人類のその長い進化の過程の中で新たに発達してきた部分「新しい脳」とがあります。「古い脳」といわれるのは、主として生命維持のために働くもので、扁桃体は古い脳に属し、快・不快をつかさどる。自分にとって快(おいしい、心地よい)であることは安全、不快(まずい、不愉快)なことは危険と判断し、より快の方向に行動するように仕向ける働きをするのです。
  「きらい」を「好き」にするということは、この扁桃体との戦いなのです。
 
 
 

1988年6月 かおる3歳3か月

 

 かおるはピーマンが苦手。7月の保育園入園はもう2週間後だ。
 入る前に何とかこのピーマンぎらいを克服しよう。どういう作戦にするか。
  見える形で好きにしなければ、嫌いを克服したことにならない。細かく切ってわからなくするとか、何かにくるんで見えなくするということでなく、ピーマンをピーマンと認識させて食べさせたい。

ピーマン嫌いの子に、ピーマンと認識させて食べさせるにはどうするか。どんな条件が必要か。
  まず、第一は、おなかが空いているときに食べさせるということ。
 とすると、遊んでおなかが空いている夕食前か?

  第二に、ピーマンしかないという条件にするのはどうだ。いろいろあると選べるので、自分のペースで食べ、苦手のピーマンを後回しにして、最後にピーマンが残ってしまう。
 しかし、いくらお腹が空いていたからと言って、ピーマンはピーマンだ。ピーマンの味が嫌いな子に、普通のピーマン料理を出したって食べないだろう。ではどうするか。

 第三の条件は、ピーマンの味が抵抗にならないようにすること。
 炒め物はダメだ。ピーマンの味が際立ってしまう。
 最初はなるべく気にならないようにする必要がある。
 衣でくるむか? てんぷらはどうだ?
 うまく揚げる自信がない。ではフライは? いいかも知れない。
揚げ立てなら衣がカリカリして美味しいと思うかもしれない。しかし、衣でくるんでしまっては、なんだかわからないではないか。
 ピーマンだとわかるようにするためにはどうするか。
 自分で、衣をつけて作ったらどうだ。それなら、ピーマンだということが明らかだ。よし、それで行こう。
 
 「フライをつくるのよ。手伝ってね」
 「うん」かおるは、前から料理をやってみたかったと嬉しそう。
 「エプロンしてきてね」「はーい」
 その間に、中華鍋に油を入れ、ガスに点火。縦に四つ割りにしたピーマンを4個、小麦粉をまぶす。
 卵をボールの中に割りほぐし、パン粉をバットの中に準備する。
 
 エプロンをつけたかおる、「何するの?」
 「おかあさんが卵をつけたピーマンをパン粉の中に入れるから、パン粉をこういう風につけてちょうだい」
 やって見せながら、説明。
 
 パン粉の中に、卵をつけたピーマンを入れていくと、小さな手で一生懸命パン粉をつける。
 「つけ終わったよ」
 「ありがと。じゃあ、これから揚げるからね。見ててね」
 椅子の上に立たせて、中華鍋が見えるようにしてやる。
 
 
 ピーマンが、あっという間にきつね色に上がる。
 「ほら、もうできた」「早いね」
 「食べてみる?」「うん」
 
 「熱いから、ちょっとさましてからね。」「もういい?」「そうね」
 「どう」「おいしい! おかあさん、ピーマンフライっておいしいね」「そう、よかった」
 
 「もっと食べる?」「うん!」
 「じゃあ、今度は自分で入れてごらん」「うん!」
 「お鍋のふちからそうっと滑らすように入れてね。ゆっくりでいいよ。」
 
 緊張しながら、ピーマンを入れるかおる。
 「うん、それでいい。かおる上手だよ。」うれしそうなかおる。
 「ほら、もういい色になった。ハイ、かおるの作ったピーマンフライだよ。」
 
 作戦終了。要したのは、ほぼ1時間。
 ピーマン嫌い、即日解消!
 

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 ピーマン大作戦の効果には、実施した私自身が本当に驚きました。
 「まずい」と思っているピーマンを「おいしい」と感じるようになったのは、自分で作ったこと、それが楽しかったこと、そしてできたての一番おいしいときに食べたことが、かおるにとっては「快」だったのです。
 つまり、「ピーマンフライづくり=快=ピーマン好き」となった、ということなのです。
 
 「ピーマン大作戦」は、見事、かおるの扁桃体に勝利。
 「きらい」を「好き」に変える、この一手。
この作戦にはその後、思わぬ発展がありました。
このとき以来、かおるはお手伝い(特に、料理のお手伝い)が大好きになり、手早くやりたいときには悩ましいほど、お手伝いをしたがるようになってしまったのです。




 
 
 

 




 


2016年8月30日火曜日

1. 「ピンクは着ないの」

91/5/28 衣替えです (耕平3歳5ヵ月)


5月だというのに、まるで夏のように暑い日が続き、早々と夏物を取り出した。耕平が去年まで来ていたサーモンピンクのタンクトップ。まだ十分に着られる・・・
 耕平の衣類は、1/2がかおるのお古、残り半分が保育園のバザーで仕入れたものと新品という構成。かおるは女の子だが、保育園で遊ぶのに具合がよいと殆どがTシャツとショートパンツ。かおるが着られなくなった頃、2歳下の耕平にちょうど良くなるので、
我が家の家計には実に都合がよい。

 耕平の体に合わせ大きさを確かめていたら、「ボクこれ着たくない。おんなの色だもん」と口をとがらせる。
 「おんな?」「うん、ボクおとこだもん」
 「おとこでもピンク着ていいのよ」「ちがうの。ピンクはおんなの色。ピンクは着ないの」
 へえ~、耕平はもう「おとこ」でありたいわけね。
 そういえば近頃「おいヨウヘイ、オレと○○やろうぜ」といった男の子っぽい言葉がふえてきて、
義母や義妹から、「こうちゃん、男の子らしくなってきたね」などと言われるようになっていた。

 耕平3歳5ヵ月。しかし3歳になって急に男の子になるわけじゃない。いわゆる「性別」でいうなら、耕平は生まれた時から男の子である。去年だって男の子だった。しかし、男の子だという自覚があったわけではなく、1歳の時にはかおるのひらひらしたワンピースを着たがったし(その時の証拠写真もある)、去年まではかおるのお古の赤やピンクのシャツを何のためらいもなく着ていた。言葉だって、「あいちゃん(保育園の同じクラスの女の子)、いっしょにあそぼ」なんてかわいらしく言っていた。
 それが今年は・・・。いったい何が耕平を「男の子」にしたのだろうか。



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 「男の子らしく」なるというのは、いったいどういうことなのか。
 「男の子らしく」なっていたい、ということが成立するためには、どういう条件が整っていなければならないのだろうか。

  1.「おんな」と「おとこ」があるということがわかっている。
  2.自分が「おとこ」に属しているということが自覚できている。
  3.男の子、女の子それぞれの傾向(服装、ヘアスタイル、言葉遣いなど)が
    捉えられるようになっている。
  4.男の子でありたいと思っている。
    または、男の子の仲間に入っていたいと思っている。

 以上のようなことが考えられる。つまり、「比較して違いをとらえる力」「同じような特徴を持ったものを類型としてまとめる力」がついてきたということ。それに、「仲間」という意識が芽生えてきたということではないか。「男の子らしく」なってきたということを喜ぶよりも、親としてみるべきことはこれらのことだろう。

 子どもが、単なる子どもではなく「男の子」になる。これは、いつ、どこで、何によってなるのか。大人は、男と女のちがいは、まず肉体的な違い、外見的違いだとみる。ところが、小さな子どもの場合、それはあまり意識されない。お父さんとお母さんであって、男の人と女の人ではないのである。かおると耕平は、お姉ちゃんと弟、愛ちゃんと耕平は、、保育園のお友達の「あいちゃん」と「こうちゃん」であって、女の子と男の子ではないのである。一人一人を見ているのであって、類型化していないのである。

 類型化というのは、いろいろな形態・性質をもったたくさんのものについて、一つ一つバラバラにみるのではなく、同じ形態・性質を見つけて分類するということである。保育園に通うようになって1年と少し。いつも一緒に遊ぶ同じクラスのお友達は20人もいる。(保育園全体は90人ぐらい。) 先生は園長先生夫妻、帰りの時間帯を担当する補助の先生を含めると20人はいる。それだけ大勢の人に接して、見る目も育つということだろう。

 年齢的な成長もある。保育園の先生によれば、2歳児までは、ほとんど一人遊び。すぐそばにいても一緒に遊ばない。関わりができるとすれば、オモチャの取り合いぐらいなものだという。その子にではなく、持っているオモチャの方に関心があるということだ。それが3歳ぐらいになると、だんだん周囲に関心が向かい、一緒に遊ぶようになるという。

 保育園では、食事の前や、散歩に行くとき、お昼寝の前などに排泄を習慣づけている。男の子、女の子をグループに分けて、男の子は男の子用の便器を使うのだ。そうした時々で、体の性の特性について自覚できるし、自分がどの分類にいるのかも理解できる。日々、男の子、女の子が意識されるような環境が整っているというわけだ。
 そうした環境の中で生活し、周囲の人たちが持っている分類の仕方、考え方に接し、ものの見方が育ってきたということなのだろう。

 言われているんだろうな。「男の子なんだからね。泣いちゃいけないよ」とか、「男の子は女の子にやさしくしなくちゃいけないよ」とか・・・・・・ね。
 そうして君は「男の子」になったんだね、こうちゃん。
 でもね、こうちゃん、ピンクが好きなら、男の子だって着ていいんだよ。