2019年9月2日月曜日

18.2才児の世界

2018年8月、山口県で曽祖父宅に帰省していた2歳児が行方不明になり、3日後にボランティアの男性が発見したということがあった。そう、あのスーパーボランティアの尾畑さんのことである。
150人規模の捜索隊が2日以上探し回って見つからなかった2歳児、理稀(よしき)ちゃんを短時間で探し出した尾畑さん、その判断力と行動力が賞賛されたのは、まだ記憶に新しいところである。

警察や消防などからなる捜索隊は、主として曽祖父宅より下の方を探していたのだが、尾畑さんは「子どもはどんどん上に登っていくものだ」と、迷うことなく山道を登って行き、捜索し始めてからわずか30分ばかりで理稀ちゃんをさがしだしたという。

2歳児の理稀ちゃんは、の近くの山道を、かなり上ったところで発見された。
薄暗い沢の苔むした岩の上に、こわがりもせずに座っており、理稀ちゃんの名を呼びながら探していた尾畑さんに、「おじちゃん、ボクここ」と声をかけたそうだ。
山の中でたった一人68時間を耐えた、この2歳の理稀ちゃんの体力と豪胆さにも感嘆の声が上がった。

子どもはどんどん上に登る、豪胆、暗闇をこわがらない。
この話を聞いて、そういえばうちにも似たようなことがあった、と思い出した。

① よく歩きます


《1989年10月》  耕平1才10か月、かおる4才

耕平は、保育から帰って、ちょっとすいていたおなかに食べ物を詰め込むと、
もう「オンモ、オンモ、サンポ」とわめきます。
夕食の支度中の私があまりのうるささに音を上げて、
「ちょっとだけだからね」と外に連れ出してやるまで続きます。
外へ出ると、耕平はどんどん先に立って歩き、そのあとに私とかおるが続きます。
散歩のコースは自分で選択します。
いつも同じとは限りません。何で判断しているかはよくわかりません。
あまり遠くに行きたくない私は、「耕ちゃん、今日はこっちに行ってみようよ」と、
短いコースの方へと誘導しようとしますが、
耕平は「アッチ、アッチと」と絶対ゆずらず、どんどん歩いていくのです。
散歩は1時間近くになることがあります。
2歳児というのは、結構歩くものだとだと感心します。

こうして、雨が降らない限りほとんど毎日、夕食前に“散歩”に出かけます。
これをやらないと、なかなか夜眠らなかったり、夜中に起き出して「オンモオンモ」とわめくことになります。
先日、散歩の途中で近所の方に会ってこの話をしたら、
「あ~ら、うちの犬もそうなのよ」と言われました。

 

② 誰とでもよく話します


《1988年8月》 耕平1才8か月

耕平は散歩の途中で出会った人、出会った人にお話をしていきます。
たまには顔なじみもいますが、殆んどが初めて会った人です。
自分がはいている長靴の話をしたり、空に出ている月の話をしたり、
声をかけてくれようものなら、座り込んで話をせんばかり。
話が長くなって、いえに入ろうとしてなかなか入れなくなってしまう方もいて、
そのたびに私は謝っていますが、皆さんニコニコして相手になってくれています。
やさしい人がいっぱいいるんだなあ、って嬉しくなります。

 

③ 見知らぬ土地で一人散歩


次の記録は、夏休みを取って小諸の夫の叔母の家に行ったときのこと。
耕平は、見知らぬ土地で、一人散歩を実施。

《1988年8月 耕平1才8か月》

皆で昼の支度をしていたときだったか、気がつくと耕平がいない。
私自身初めてのところだったので、様子がわからない。
その家自体が広く、また庭も広く、裏には畑もあるというような家で、行くところがいろいろある。
敷地内にいないということがわかったのがしばらくしてからだった。 
外に探しに行ったものから、近所のTさんの家の庭先で発見したという連絡が来てヤレヤレ。
勝手にどんどん入り込んで、そこの家の方と話し込んで(?)いたという。
訪問者としてきちんと対応していただき、おやつまでいただいて帰ってきた。
それにしても、こんなに小さな子が、よくあんなところまでいったねえ。
初めての知らないところに平気でよく行くものだ、と大人たち感心。


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たかだか2才なのによくまあ、と私も始めはそう思っていたのだが、
いや2才だからこそなのだ、といまではそう思っている。

考えてみたら子どもは、もともとは何も知らなかったのだ。
母親のおなかの中から、それこそ右も左もわからない世界に生まれてきた。
でもわからないからといって、赤ん坊は不安にはならない。
赤ん坊が泣くのは不安や恐怖ではなくて、不快だからだ。
おなかがすいた、ねむい、おしっこが出る(出た?)、うんちが出る(出た?)、
あるいはどこかが痛い等々。

何もわからない世界の中で、見たり、さわったり、なめたりかじったりしながら、
少しずつわかってくるという生活をしている。
この頃やっと、少し周りの人間の言葉がわかるようになってきた。
要するに2才児は、わからないのがあたり前の世界で生活している。
だから怖がらない。

このくらいの小さな子には、大方の人が親切にしてくれる。
だから、今のところ耕平は怖いもの知らず。
怖さはこれから経験することになる。
親の本当の出番もこれから。


④ 暗闇だって怖くない


そういえば、かおるだってそうだった。
かおるが1才半ぐらいの頃、夜の公園で遊ぶのが好きだった。

夕食の後、散歩に出かける。
歩いて数分のところにある、小さな公園。
といっても近所の幼稚園の庭の倍ぐらいあって、1才半ぐらいの子どもにとってはかなり大きい。
昼間もよく遊びに行く公園で、砂場あり、ブランコあり、すべり台あり、ジャングルジムありの魅力いっぱいの公園で、近所の子どもたちがたくさん遊びに来る。

しかし、夜の公園には全く人はいない。
わずかな外灯があるばかりで、ほとんど暗闇と言ってよい。
そんな公園の中に、かおるはいつも、闇に向かって全く怖がらず入っていく。
少しあとからついていく親のことなど忘れているかのよう。

怖いという経験をしていないから、怖くないのだ。
「おばけ」などという怖いもののイメージなど持っていないから、怖くもなんともないのだ。
怖いものの経験やイメージが入ってくる前は、子どもは怖がらないのだ。

豪胆というより、怖さを知らないということなのだ。







17.これはお話なんだからね

1993年5月 耕平5才5ヵ月

『ジャンパーソンの秘密大図鑑』という本をよんでいる耕平。
ジャンパーソンというのは、今年1月から始まった特撮ヒーローもののTVドラマ「特捜ロボ・ジャンパーソン」の主人公であるロボットのこと。
耕平は「特捜ロボ・ジャンパーソン」にすっかりはまっており、ドラマが放送される日曜朝8時からの30分は彼の至福のひととき。

最近耕平は、ためておいたお年玉で『ジャンパーソンの秘密大図鑑』という本を買った。
ジャンパーソンの強固なボディや戦闘装備の数々がどういうものか、それを事細かに図解した本である。
このところ毎日、夢中で読んでいる。
そして、わかったことを私に説明する。

耕平:お母さん、ランドジェイカーって時速700キロ出るんだって。
     (ランドジェイカーというのは、ジャンパーソンが乗っている車である。)
私  :ふ~ん。
耕平:リニアモーターカーって時速何キロ? 
私  :500キロぐらいかな。
耕平:新幹線は?
私    :時速250キロぐらいだと思うよ。
耕平:ランドジェイカーは700キロだから、一番速いね。
私  :リニアモーターカーは、車体を空中に浮かばせて、抵抗をなくすから500キロも出るんだよ。
     ランドジェイカーは車なんでしょ。そんなに早く走れるわけないんじゃない?
     タイヤと道路のところで抵抗が生まれるからね。
    このスピードはちょっと現実的じゃないなあ。
    (5歳の子どもにはちょっと難しいかなと思いつつ話している私。)
耕平:でもお母さん、これはお話なんだからね。

(!!!)
話の中にのめり込んでいるわけじゃないんだ。
ちゃんと現実と虚構の世界を分離してとらえているんだね。
失礼しました!

2019年7月29日月曜日

16.初めての三段論法ほか

子育てというのは、生やさしいものではありません。
生まれたときは「健康に育ってくれさえすれば、それでいい」
などと思っていたのに、だんだんそれが揺らいでくる。
(もちろん健康に育てるだけだって大変です。)

子どもは、親の思うとおりには育ってくれません。
そう、子どもは親の思う通りには育たないものなのです。

子どもは親とだけ生活しているわけではありません。
きょうだいと遊んだり、TVを見たり、一人で遊んでいるときだってある。
それに、子どもは家の中だけにいるのではないのだから。
保育園にも行ってるし、近所のお兄ちゃんとも遊ぶ。
大家さんにおやつをもらったりもする。

子どもは、そのそれぞれの経験の中で育っていく、
そう思って子どもの成長を観察していると、なかなか面白いものです。
親の気持ちにもゆとりが生まれます。


◆初めての三段論法


食事開始から30分あまり。皿の上にはおかずがまだかなり残っています。
食べるのに飽きたのか、立ったり座ったり。そして遊んだり。

 私 「こうちゃん、ちゃんとおすわりして食べなさい!
耕平 「あのねえ、こうちゃん、ちいちゃいの」
 私 「そうね」
耕平 「だから、たべられないの」 私にすりよる耕平。
耕平 「だから・・・」
 私 「ん?」
耕平 「おかあさん、食べさせて」 私の膝の上に座り込む耕平。

耕平、いつの間に獲得したの? 三段論法!!
耕平、3才1ヵ月。


◆逆 襲


私の電卓を持ち出していたずらしている耕平に聞きました。
「ねえ、こうちゃん、何やってるの?」
耕平、こちらを見向きもせずに、そっけなく言います。
「いま、ボクおしごとしているんだから、ちょっと聞かないでね」

少し前のこと、私の仕事中に耕平があれこれ質問してうるさかったので、
「いま、お母さんお仕事してるんだから、ちょっと聞かないでね」
と言ったのを覚えていたようです。

耕平、3才6ヵ月。


◆よく見てる


家族そろって食事中のこと、ひじをついて食べるかおる。注意する夫。
「なんでいけないの?」と聞くかおる。
夫、答えにちょっと詰まる。
かおるに説明する私。マナー及び食事中の姿勢と健康との関係について。
「わかったか、かおる」と夫。
するとかおるはすかさず言う。
「お父さんは、いつも『わかったか』しか言わない」
絶句する夫。
かおる、5才8ヵ月。


   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

子どもは、身体だけでなくその内面も、日々成長しているのだなあと思います。
「親の言う通りのことしかしない子なんて面白くない」
「今日は何をしでかすだろうか」ぐらいの気持ちで見ていると、いろいろな発見があります。
親がそういう気持ちでいると、子どもものびのび行動するように感じられます。








2019年2月8日金曜日

15.こうしゅう田わ

≪1994年春≫


耕平、1年生。
今日は、「田」という字を習ってきた。
田には、「た」と「デン」という読みがある。
「デン」を使った熟語を書けという問題。
持って帰ってきたワークブックを見ると、彼が書いたのは「こうしゅう田わ」。
そこに、担任教師が大きく×をつけた。

「耕ちゃん、でんわは『田わ』じゃないんだよ。
「そうなの?」
「でんわは、『電話』って書くの。」
「ふ~ん、むずかしい。」

耕平の世界にある「デン」の音がつく言葉は、まず「電車」だ。
それから、電気、電話、電線、電信柱、電池、懐中電灯。みんな「電」だねえ。
でも、「電」の字は難しいので、1年生ではまだ習わないらしい。

子どもの世界で、「デン」という音で「田」という字を使っている言葉はあるんだろうか?
で、辞書で調べてみる。
田園、田楽、田地・・・
いや~、こんなの1ねんせいのこにわかんないでしょ。
水田、塩田、油田、炭田・・・
これも身近にないし、思いつくわけない。無理。

「耕ちゃん、これは問題が悪い。できなくてもいいわ。」

2019年1月12日土曜日

14.僕ってそういう人なの

 届いた荷物の中身を取り出した後、夫が荷物をくるんであったプチプチをつぶし始めた。
 プチプチとは、梱包材として使われている、前面に丸い気泡がびっしりと並んだポリエチレンシートのこと。正式には気泡緩衝材というそうだ。

 「僕好きなんだよね、これつぶすの。ストレス解消になるんだ」と夫。
 「へえ~、そんなにストレスたまってるようには見えないけどね」と軽口をたたいているところに、子どもたちがやってきた。
 「あ~、面白そう! やらせて、やらせて~」とかおる。小学2年生。
 「耕平もやる? 面白いよ」と夫が誘う。
 耕平はにべもなく言う。「僕はしないの」そしてつけ加えた。
 「僕ってそういう人なの」
 「・・・・・・・・・」呆然とする夫。

 「僕ってそういう人なの」
 これは、自分のことを外側から見た表現。自己を客観視していることを示す言葉である。いわゆるメタ認知。
 保育園に通っている息子に、「自分はそういうプチプチをつぶしてはしゃぐというような人間ではない」という意味合いで言われて、子どもじみた行動をしていた父親は言葉も出ない。
 子どものメタ認知能力の発見。衝撃的な出来事だった。

 2歳上の娘の場合は、こうした変化がいつごろあったのか、うかうかしていて気がつかなかった。
 メタ認知―自己を客観視するという行動、私自身がいつごろからそういうことができるようになったかということもよく覚えていないが、親が考えるよりずっと早くこどもはできるようになるということだ。
 耕平、5歳5ヵ月。保育園年長組。
 子どもの成長恐るべし!
 



2017年9月6日水曜日

13.無視されて大人になる

≪1994年6月≫


 新座に越してきてから、約2か月がたったころのこと。
 子どもたちもだんだん、この地での生活になじんできた。

毎朝、通学班8人が並んで小学校まで7~8分ほどの道のりを歩いていく。先頭が6年生、その後は年の小さい順、1年生(耕平)、2年生、3年生(かおる)、4年生2人、最後に5年生2人が続く。
 世田谷に住んでいたころの通学班は、朝登校するだけのまさに通学班だったが、こちらの通学班は放課後もよく一緒に遊ぶ、今どきでは珍しい異年齢の遊びグループだ。塾に行っている子が1人だけだったからかもしれないし、他の学区域とは交通量の多い道路を隔てて独立した区域のようになっていたからかもしれない。

遊びのリーダーは、路地をへだてたお隣の「ユウやん」5年生。登校班では2番目の年長だ。(写真では後ろから2番目)いろいろな遊びを知っていて、小さい子の面倒見がいい。塾には行っていないようで、いつもいろいろな年の子を集めて遊ぶ。最近ではあまり見かけなくなったタイプの男の子だ。引っ越してきたばかりで一番ちびの耕平も、どうやら仲間に入れてもらって遊んでいる。
 
 
 
 
6月の暑い日、耕平が家に駆け込んできて言った。「マリオのパンツある?」
マリオのパンツとは、耕平お気に入りのマリオブラザーズの柄のトランクス型の下着のことだ。最近みつけて、ファミコンゲームのマリオに熱中している耕平はきっと気に入るだろうと買ったもの。案の定、大喜びで、ズボンをはかずにパンツのままで仕事中の父親に「マリオのパンツだよ~」と見せに行ったほどである。
「おお、いいなあ。お父さんもほしいよ」などと言われてご満悦だった。それ以来、大事にはいていて、周囲の親しい人、叔母ちゃんやら年長のいとこやらに会うたびにみせびらかしていたそのパンツだ。
 
「あるよ。タンスの引き出し見てごらん」
耕平は、引出しからマリオのパンツを引っ張り出し、はき替えると再び家を飛び出していった。
どうするのかと様子を見ていると、耕平はユウやんのところに走り寄った。
そして、ズボンを少し下げてパンツを見せて、自慢そうに言った。
「これ、マリオのパンツなんだよ」
「ふ~ん」ユウやんの反応はそれだけだった。
そしてすぐ、「さあみんな○○しようぜ~」と掛け声をかけた。
 
耕平はしばらく呆然としていたが、やがて遊びの輪の中に入っていった。
 
 
 

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 小さい子どもに対して周りの大人たちは、その子のご機嫌を取りがちになる。関心を持ちそうな話をしたり、その子が話しかけてくれば、できるだけその意に添うように答えてやるといった風だ。我が家においても、少なからずそういう雰囲気があった。

ユウやんの登場は、耕平にしてみれば、カルチャーショックに近かったのではないだろうか。関心がなければ無視する、もっと言えば否定さえする人が現れたのである。耕平はこの出来事を、一体どう受け止めたのだろう。

私は、この出来事について、ついに耕平には何も聞かなかった。耕平も何も言わなかったが、この日、耕平は少しだけ大人の世界に入ったのだと思う。

 

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耕平を大人の世界に近づけてくれたユウやんは、近所の子どもたちにとって愉快なアニキだった。ユウやんの家には、近所の子がいつも出入りしており、耕平も、すっかりユウやんに傾倒していた。ユウやんと一緒だと、ただのシャボン玉遊びだって面白くなるようだった。

ユウやんが6年生になって、通学班の班長になったとき、ユウやんは通学班の集合の仕方を変更した。それまでは、ただ時間と場所を決めていただけだった。場所は我が家の前。皆揃うまで、ただバラバラと立っていた。

ユウやんは、通学班の集合を貨物列車の荷物の積み込みに見立てた。子ども一人一人の位置決めをし、順々に子どもがその場に入っていくようにした。子どもたちが、来たものから順に決められた自分の位置に並び、空いているところに後から来た子が入ってきて全員そろうと、先頭のユウやんが「出発進行!」と掛け声をかけ、車掌役のケンちゃんが「オーライ」というと、子どもたちは、列車になったつもりで行進していくのだった。
ユウやんは、学校の決まりである通学班も、愉快な遊びにしてしまったのである。
 
2年後、我が家は、道路の反対側の地区に新しく建ったマンションに引っ越し、借家生活を解消した。
ユウやんとはそれ以来会っていない。もう30歳半ば、父親になっているかもしれない。
どんな大人になっているのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

2017年7月19日水曜日

12.お手伝い

≪1989年3月 : かおる3歳11か月≫ 



『お手伝い』、これが今かおるが一番気に入っている家の中での遊びです。

『お手伝い』にも『お料理』『お掃除』『お裁縫』といろいろあるのですが、一番好きなのは、『お料理』です。これは、自分の力を発揮したという実感が一番あって、なおかつ味見ができるからです。くいしん坊のかおるにとってはたまらないところです。

 かおるが一番初めにつくったのがスクランブルエッグでした。卵をかきまわして、熱くしたフライバンの中にあけ、ハシでかきまわします。あっという間に黄色くふわふわしたスクランブルエッグができました。おとうさん、おかあさんにおいしいと言われ、かおるは大満足です

 三才の子供に火を使う料理はあぶないかなと、最初は多少心配でしたが、かおるがあまりやりたいとせがむので根負けしてやらせてみたのですが、予想以上に注意深くやるのです。そして、このごろ口答えをするようになってきているかおるが、やりたい一心でかわいそうになるくらい私の言うことを素直に聞きます。

 野菜いため、ギョウザ、ヤキソバ、チヤーハン、カレーライス。
 先日はフライにも挑戦しました。魚に小麦粉をつけて卵の中にひたし、さらにバン粉をつける。それをお手伝い熱した油の中にそうっと入れる。きつね色に揚がったのを長いはしでとりだすのは少し難かしかったらしく、だいたいは私がやりましたが、ほぼ全工程にわたって手がけました。

 鍋にさわりそうになったとき、ついどなったりしましたが、かおるは面白さでいっぱいで、そんなことは少しも気にならなかったようです。
 皿に並べたフライを眺めてかおるは実に満足そうでした。
 そして、ニコニコしながらいうのです。
「いつでもお手伝いしてあげるからね」
 
 

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ここに書かれた『お手伝い』は、義務感の伴ういわゆる『お手伝い』とはちがいます。
『お手伝い』という名の遊びと言った方が良いのかもしれません。
子供にとって一番楽しいのは、自分の能力をせいいっぱい使って何かをつくりあげたという実感のあることのようです。それが『最高の遊び』なのでしょう。
かおるは今でも料理が好きで、忙しい合間にも楽しみながら作っています。(そう上手だというわけではありません。それは手本とする対象が名人というわけではなかったので、仕方のないことです。)
お手伝いということでなく、一緒に楽しくやること。家の中のいろいろな仕事を遊び感覚でやる工夫をする。これは結構手間もかかるし、注意も必要なので面倒なのですが、あるところまで行くと自分でどんどんやるようになるので、それからはずっと楽になります。料理以外ももっと力を入れるべきだった・・・、後悔先に立たずです。